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東京地方裁判所 昭和38年(刑わ)3508号 判決 1965年3月08日

主文

被告人三名はいずれも無罪

理由

(本件公訴事実)

昭和三八年七月二日午後四時過頃東京都港区芝高輪南町六五番地国鉄田町電車区構内職員浴場附近において、かねて同区長串田正平から同区の日勤者の入浴は午後四時三〇分以降とする旨申し渡しされなががら、これに反対して集合した同区勤務の職員数十名が、右申し渡しに反対して、入浴する者を監視、説得して、その入浴を阻止しようとした同区首席助役小沢長一郎等に対し、暴行を加え、同浴場に乱入したので、鉄道公安職員日野光一が、前記浴場入口附近において、証拠保全のため、これを写真撮影しようとしたところ、被告人等はほか一〇名位と共謀のうえ、「私服がカメラを持つている、取つてしまえ」等と怒号しながら、同人が持つていたカメラの吊皮ケースを引つぱり、さらに同人の胸部を手拳で殴打したり、突たりする等の暴行を加え、よつて同人の公務の執行を妨害するとともに、右暴行により同人に対し約三週間の加療を要する胸部挫傷等の傷害を与えたものである。

(本件発生に至るまでの経緯)

一、田町電車区検修従事員の業務内容

田町電車区はその受持区域に電車を運転させその保守、清掃を業務とする現場機関であり、そのうち、電車検査掛は電車の検査に従事し、電車掛は主として電車機械、電気部分の修繕、清掃等の作業に従事し、整備掛はこれを補助する掛とされており、この三者を一括して検修従事員と呼称している。本件被告人等は、いずれも電車掛の職にあつたものである。

検修従事員は、電車の機械、電気部分の清掃、修繕、検査に当るのであり、電車の車体の内外はもとより、車体の下部にもぐり込んで、右各作業を行わねばならず、特にわが国長距離電車の車両構造、その利用法、線路事情よりして、車両の汚損は著しく、ために作業に当る従事員はすべて塵埃、糞尿、機械油等により、衣服はおろか、顔、首、手足等が著しく汚染し、或いは臭気を帯びる。そのためこれらの身体の汚染を除去することなしには、公衆に触れ、乗物等を利用して帰宅することは不可能の状態であつた。

二、田町電車区における午後四時以降入浴の慣行

右のごとき検修従事員の職務内容からして、国鉄当局も、入浴施設を設け、勤務時間内に入浴清掃を認めてきたのであるが、この入浴清掃は右職員等の不可欠の労働条件の一つとなつていた。

ところが、昭和二五年頃より湘南電車を初めとする東海道線電車の増加に伴い当時区員一五〇名位の小規模であつた田町電車区はそのとき一挙に二五〇名位に増大し、更に昭和二八年頃には区員四八〇名位となり検修従事員も二六〇名至二七〇名位に達した。そのため昭和二八年四月本件浴場が完成したが、然し本件紛争当時においてはその人員は更に増大し区員六八八名うち検修従事員が三八〇名であつた。

かような人員の飛躍的増加にもかかわらず、浴場は昭和二八年当時のままのものが、使用されていたため、三八〇名のものが入浴を全部終るには時差入浴を有効に活用するとしてもその浴場の規模、設備等よりして一時間近くかかるのは明白であつて、大部分の職員が入浴を完了するのは午後五時前後となるので実情であつた。

そのため管理者たる同電車区長は遠距離通勤者等の便宜を考慮し、当時給水関係の仕事を除いて作業ダイヤの完了する午後四時以降の入浴と午後四時半以降退区と云う勤務条件を認めた。右事実は昭和三〇月一月付検修関係服務内規に明記され、その後の昭和三二年一年、昭和三七年五月の内規にはその入浴時間の規程は削除されてはいるが、ただ削除されたのみで入浴時間を定める規程は何ら設けられず、その慣行はそのまま歴代区長、助役もこれを是認し、約一三年の長きに亘り労使間における事実たる慣習として遵守実行されて来たものである。

三、入浴時間の規制をめぐる紛争

然るに国鉄当局は、右田町電車区における入浴状況の実態を何等調査することなく、昭和三八年右電車区における前記のごとき午後四時以降入浴午後四時三〇分以降退区の慣行は職場規律のびん乱だとして、同年六月中旬同電車区を指揮監督する東京鉄道管理局山岸運転部長は、同電車区に対し、規定どおりの入浴、退区をなすよう指示した。

これに基き同電車区長串田正平は、同年六月二四日国鉄労働組合田町電車区分会松本茂、同書記長遠藤昇を区長室に招致して、六月二八日より入浴開始時間を午後四時三〇分、退区開始時間を午後五時とする旨通告した。組合側は役員の多くが、電車協議会の全国会議に出席し不在のため、その帰京する同月二七日以降態度を決定したうえ、交渉を行いたい旨回答したところ、区側もこれを了承した。ところが翌二五日区長は前記指示通り入浴時間及び退区時間を変更する旨日勤者全員に通告した。

分会は同月二八日前記二四日の話合いの趣旨に基き区長に交渉を申入れたところ、区長は入浴時間の規制は運転部長の指示であり、分会と話合をする必要はない、入浴時間の規制は本日よりこれを実施する旨繰返えすのみで。その規制しなければならない理由や、その必要性、変更された場合の入浴、退区の実情等についての具体的な話合いに一切応ぜず一方的に交渉を打切つてしまつた。

そこで同月二八日以降区側は午後三時頃になると助役達が本件浴場附近に集り、入浴する職員を監視し、浴場は施錠して入浴者を実力をもつて阻止しようとした。一方組合側は話し合いによる事態の解決まで従来通りの労働条件に従うべきことを決定し、組合員はボイラー担当者より浴場の鍵を受取り、あるいは浴場の裏窓から入つて表戸を開いたりなどして入浴し、従来どおりの午後四時以降入浴同三〇分以降退区を実施した。同年七月一日には区長助役等七、八名が午後三時五〇分頃より浴場入口附近に立ち並び午後四時以降の入浴者を実力で阻止しておつたところ、浴場裏窓より入つた組合員が浴場内より入口の戸を開けたため、入らうとする組合員と前記区長助役等との間に入れろ、入れないの押し合いが行われ、串田区長初め組合側にも若干の軽い負傷者が出た。

(証拠)≪省略≫

(入浴時間の規制に対する当裁判所の判断)

検察官は本件田町電車区の午後四時以降入浴午後四時三〇分以降退区の慣行は東京鉄道管理局上部機関の認めない内緒のもので、同局の部長などの上部機関が視察するような場合、あるいは総点検運動の際は午後四時三〇分以降入浴午後五時以降退区していたのであり、それは就業規則に違反し、いわば闇慣行であると主張するが、前記認定のごとく田町電車区においては午後四時以降入浴午後四時三〇分以降退区の慣行は十年以上の長きに亘り実行され、その間右慣行は同区の内規にも明記されるに至つた。その後その入浴時間の規定は削除されたが、若しその理由が闇慣行の成文化にあつたとするならばその際当然これに反する規定が制定される筈であるのに、右慣行に反する規定は何ら制定されず、篠原、遠藤両証言によれば、田町分会では歴代区長との間に必ず入浴時間退区時間等について、その都度交渉がもたれ、串田区長就任の際にも遠藤書記長らが、同区長に対し、職場の勤務条件は従来の慣例通りということを確認しているなどの事実が存するのである。右事実よりすれば当時既に入浴時間の問題はそのときどきの現場の作業の状況などを考慮して両者の自主的決定に任せるという慣行が確立しており、その慣行を尊重しての内規の変更と見るほかなく、単に内規から入浴時間の規定が削除されたからと云つて、前記内規のその部分が就業規則に違反していたからであるとするは早計であると云わねばならない。又前記国鉄上層部の視察や総点検運動の際の時間の繰り下げも、当局側の検修従事員の作業を汚染職又はこれに準ずるものと見做さない立場よりすれば午後四時三〇分以降の勤務時間内入浴も認められず、右主張事実もこれ又就業規則違反の闇慣行にすぎず、両者はともに三〇分の時間差の問題にすぎないこととなる。又串田証言によれば作業内規が制定された場合には、すべてこれを電車課に送付するのであるから、電車区の上部機関である電車課運転部などにおいては各職場の内規を知り、勤務条件などは当然知つている筈である。しかも本件当時検修従事員の職場では午後四時以降入浴同四時三〇分以降退区の慣行が田町電車区ばかりでなく、東京機関区、松戸電車区にも行われ、全国的にその時間の長短の差はあれ、勤務時間内の入浴が行われていたことを見ても、右は公然たる事実であり、本件慣行をもつて闇慣行と見ることはできない。

検修従事員の職務は汚染職又はこれに準ずるもので入浴は勤務時間内に行われるべきものであるから、入浴設備と入浴人員の関係から、全員の入浴が完了するまで三〇分以上一時間近くも必要な本件田町電車区の場合のごときは、作業ダイヤの終了する午後四時以降入浴も当然考えられ、一度に全員入浴できないとすれば、入浴し終つたものから順次午後四時三〇分頃から退区するのはまことに自然の慣行と云わねばならず、一般日勤者が勤務時間内にこつそり上司に無断で退庁する習慣が慢性化した場合とは根本的にことなるものと云わねばならない。

次に本件慣行と就業規則との関係を考察するに、検察官は、本件慣行は就業規則に違反し、不当に労働者を有利にするものであると主張するが、就業規則に定める八時間労働は労働基準法に定める最低の基準であつて、労働関係の当事者はこの労働条件の向上に努めるべきであるとする同法第一条第二項の趣旨からも労働時間の短縮は同法の要請ですらある。又前記のごとく検修従事員の職務を汚染職又はこれに準ずるものと見るならば、入浴時間は勤務時間であつて、不当に有利不利の問題は生じない。検察官の論法をもつてするならば、本件紛争後田町電車区で実施している、午後四時三〇分以降入浴の事実もこれ又労働者を不当に有利にし、就業規則違反の問題が生ずることとなる。

更に検察官は、本件慣行を認めず、本件は労働時間内の仕事の割振りの問題にすぎず、当局の管理運営事項であると主張するが、公共企業体等労働関係法第八条第一号には労働時間に関する事項は団体交渉の対象とし、これに関し労働協約を締結することができることを明文をもつて定めている。然るに入浴開始時間及び退区時間の問題は、実質上も形式上も労働時間そのものであり、これを当局の管理運営事項と見るは正しくない。本件のごとき労働時間の変更は労働条件に関するものであるから、当然に団体交渉の対象となり、一方的な変更はできないものと云わねばならない。

この点についてに、国鉄当局も慣行を尊重し、組合との交渉により事態を解決する方針であつたことは明らかである。即ち富塚、駿東、山岸の各証言によれば、本件と相前後して同様に入浴時間の規制が問題化した東京機関区において両者の交渉により事態の円満解決を見ているのである。同年六月一七日日本国有鉄道東京管理局総務部労働課長駿東鼎と国鉄労働組合東京地方本部組織部長富塚三夫間においてとり交わされた「東京機関区問題に関する秘密了解事項」と題する書面第二項によれば「入浴時間の規制等は現地の自主的解決に任せることとする」と記載され、これに基き同月二一日東京機関区の首席助役神保鶴吉と副分会長後藤敏郎との間に成立した確認事項第三項によれば「入浴時間退庁時間食事時間等については、品川構内運転関係他職場の実情を見て措置する。この場合は分会と協議する」と記載され、明らかに東京機関区においては、当局は現場における区長と分会の交渉権と合意決定の権限をみとめ、両者の話し合いにより、現地の自主的解決に任せることを確認しているのである。そして富塚、山岸両証言によるも、七月一日には、東京鉄道管理局において、山岸運転部長と東京地方本部の富塚組織部長との間に交渉がもたれており、田町電車区のみ早急に入浴時間を規制する業務上の必要は何もなかつたのにもかかわらず、当局側は七月二日遂に鉄道公安官まで出動を要請して、実力による組合員の入浴阻止を図つた。一体このような当局側の性急且つ強硬な行動に如何なる必要性と合理的理由があつたか、当裁判所の理解に苦しむところである。

(本件紛争と被告人等の逮捕)

七月二日東京鉄道管理局においては、田町電車区より、前記入浴時間の規制状況及び前日の串田区長の負傷の報告を受け、同日同電車区の規制状況視察のため、運転部長山岸勘六を、また右規制の際の警備のため、同局鉄道公安機動隊々長横堀啓六以下一五名の鉄道公安職員を制服で、同区営業部公安課長補佐片倉信一、東京鉄道公安室勤務の鉄道公安員日野光一、同一の瀬善一郎、同勝又勲を私服でそれぞれ田町転車区へ派遣した。その際右日野公安職員は右田町電車区浴場附近において、不法事態発生のときには証拠保全のため、写真撮影をするよう指示を受け、アサヒペンタツクス、カメラ一個を自己のオープンシヤツの下にかくし携帯していた。

一方田町電車区においては、同日午後三時四五分頃から、串田区長、小沢、松沢、板東、田中各助役が浴場附近に至り、午後四時頃小沢、板東、田中の三助役が浴場表入口に立ち、串田区長、松沢、箕輪の両助役が同浴場の裏窓の前に立ち、日勤者が午後四時三〇分以前入浴するのを監視、説得してこれを阻止しようと警戒していた。

他方午後四時前後から、当日の作業を予定どおり終了した同電車区の検修掛職員が従来どおり入浴するつもりで、各詰所から三々五々浴場表口前通路附近に参集しはじめ、四時少し過ぎ頃には、その人数は四、五〇名に達した。そのうちには作業服姿のもの、あるいはズボンやシヤツを着用していたものも混じつていたが、大多数は入浴するために集つた人々であつた関係上パンツ一枚もしくはパンツすら着用しないで腰に手拭を巻きつけただけという裸体姿であつた。

ここにおいて、串田区長の指示により、浴場表入口ガラス戸前にこれと接着して職員の出入を実力をもつて阻止しようとする態勢にあつた小沢、板東、田中の三助役に対し職員数名が直ちに入浴妨害をとりやめ、ガラス戸前から立ち退くように交渉を繰り返したのであるが、助役等は全くこれに応じようとしなかつた。そのためまもなく入浴のため入室しようとする職員と右助役等との間に、押したり引つぱつたりの紛争が始まり、その際板東助役の背中がガラスに触れ、その一枚が破損するに至つた。

この状況を監視していた前記私服の鉄道公安職員片倉信一は、右事実をもつて不法行為の発生と考え、前記一の瀬公安職員に待機していた公安機動隊にその出動の連絡を求める一方、前記日野に対し軽率にも証拠保全のため、写真撮影を指示した。

そこで右日野公安職員は、ボイラー室の角あたりに立つて、「不法行為」の現場を撮影しようと、かくし持つていた前記携帯カメラを出して、不法行為と称するガラスの割れた現場と職員の浴場に乱入する状況を撮影しようとしたが、一瞬のできごとであつたため、シヤツターチヤンスを逃がしてしまつた。それでもなお日野は入浴のため裸で集つた職員達の方にカメラを向け、写真撮影をしようとしていた。そのとき職員の一人である岸野浜治及び遠藤昇はこれを見つけ、右日野に近より「写真をとるな」と抗議したが、なおも写真撮影を続行しようとしていたので、右岸野は「写真をとつているぞ」と叫び附近にいた職員達に、写真撮影が行われていることを知らせたところ、浴場前広場にいた被告人小泉、同上野、同佐久間、遠藤及び岸野等は、右日野の写真撮影を妨害すべく、日野の腕を揺つたり、カメラの紐を引つぱつていたが、なおも日野は写真撮影を中止せず、更に右職員達の撮影までもはじめたため、騒ぎは益々大きくなり、附近に入浴のため集つていた職員達もすばやく日野の周囲に集まり、七、八名から十数名位のものが一団となつて揉み合うような状態となつた。

そのとき被告人小泉は、その状況を目撃していた前記片倉公安職員と前記連絡から帰つた一の瀬公安職員に逮捕され、被告人上野、同佐久間は前記連絡により出動した公安機動隊員により、それぞれ逮捕されるに至つたものである。

(証拠)≪省略≫

(本件写真撮影の違法と公務執行妨害罪の成否)

人はその承諾がないのに、自己の写真を撮影されたり、世間に公表されない権利即ち肖像権を持つ。それは私人が私生活に他から干渉されず、私的なできごとについて、その承諾なしに公表されることから保護される権利であるプライバシーの権利の一種と見ることができよう。それは憲法第一三条は個人の生命自由及び幸福追求に対する国民の権利が最大限に尊重されるべきを規定し、その他憲法の人権保障の各規定からも実定法上の権利として十分認め得る。刑法第一三三条、軽犯罪法第一条第二三号などはこれを認める趣旨の規定と解され、私事をみだりに公開されないとする保障は、今日のようなマスコミの発達した社会においては、益々その必要性が痛感されるものと解する。

しかしこの権利と同様無制限ではあり得ない。公益上の理由、報道の自由などよりの制約もまぬがれないことは、憲法第一三条の規定に照らしても明らかであり、公共の福祉のため、犯罪捜査の必要上写真撮影の許容される場合のあることも認めなければならない。犯罪捜査のため、被疑者の写真撮影は如何なる場合に許されるか。これについては刑事訴訟法第二一八条第二項に身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影をするには、被疑者を裸にしない限り、令状によることを要しないとの規定があるに止まり、任意捜査の方法として写真撮影については特別の規定がない。

さて任意捜査は相手方の承諾を得て行うのが原則である。しかるに写真撮影は相手に気付かれず、又は相手の意思に反してまでも行うことができるので、右プライバシーの権利が法によつて保護されるとの立場よりすれば、この国家権力と人権の保障との鋭い対立を如何に調和させるべきか、困難な問題が生ずる。犯罪捜査だからと云つて、その相手方の承諾なくして無制限に写真撮影の許されないことは明らかであるが、犯罪捜査における写真撮影の重要性を考慮するとき、これ又相手方の承諾がなければ一切の写真撮影ができないとするも当を得たものではない。スポーツ、興行関係者或いは誇示的行動をとる群衆などは、写真撮影としてのプライバシーの権利は、ある面においてはこれを放棄していると認められる場合が多く、ときとしては反対に被撮影者の利益と考える場合もあり得るし、政治家とか高級官僚などのように公の場での生活が多い人々については、公益の立場から、又は報道の自由からプライバシーの権利の制限もある程度は止むを得ないと考えられるし、一般の人々の場合においてもその写真撮影の目的如何によつては(釈明権の問題が重要となる)この放棄も考えられ得る。

とにかくこのプライバシーの権利としての肖像権は右のごとく権利として稀薄性のためか、被害者が直接的な痛痒を感じないためか、この権利の保護は軽ろんじられる傾向にあり、犯罪捜査とかの理由のみで、無批判的にその侵害が正当化される場合が多い。だからと云つて、犯罪捜査の名のもとに、捜査官等に単純に被疑者とされた人々には、既にプライバシーの権利保護の要なく、無制限に写真撮影が許されるとする考え方、即ち写真をとるのは職務上の必要があれば当然だとするような人権感覚で捜査が行なわれたのでは、任意捜査規定はその存在意義を失うであろう。

ことに本件のごとく、写真撮影がその釈明とそれに基く拒否とが明らかとなつた場合においてはプライバシーの権利の一種としての肖像権が最も鮮明に表現された場合であつて、それでもなおかつ任意捜査としての写真撮影が強行できるとするならば、結局任意捜査としての写真撮影は無制限に許されることとなり、その肖像権の保護は捜査官の良識はまつ外はあるまい。

写真撮影は一種の機械力を使用して、前述のごとく、相手方の意に反してまでも行うことができる点を考慮するとき、多分に強制処分的な要素も含まれていることを考えねばならない。然し当裁判所は任意捜査の場合の写真撮影まですベて強制処分であるとするものではないが、任意捜査の本質と写真撮影行為の特質とを考察するとき、本件のごとく、プライバシーの権利侵害のおそれあり、しかも相手方が明かにその拒否の意思表示をなしている場合は原則として違法と解する。然しかかる場合においても、なおかつ犯罪捜査のため写真撮影の強行さるべき必要性のあることは認めなければなるまいが、その場合は令状なくして強制処分される刑事訴訟法第二二〇条の各場合に限るべきである。即ち同条によれば、逮捕状による被疑者の逮捕、現行犯の逮捕、又は緊急逮捕の許さるべき被疑者の逮捕の場合においては、令状なくして差押、捜索、検証などの強制処分ができることになつている。もつとも写真撮影行為は右の強制処分とは異なり、人権侵害の危険はそれらよりはるかに少いと見なければならず、その執行のごとき厳格な制限はこれを緩和しこれに準じて考えることができる。従つて現に犯罪が行なわれその犯人を逮捕する場合は勿論、その証拠保全の必要ありと認められるとき、或いは逮捕状が発せられている被疑者の逮捕、緊急逮捕の要件の備わつている被疑者の逮捕のさいは勿論、それらのものを逮捕するための証拠保全として写真撮影が必要な場合には、被疑者の肖像権の侵害であり、且つ又その明示の意思に反しても写真撮影は許されると解するのが相当である。本件について見るには、日野公安職員の写真撮影をなした現場は前記認定のとおり、何ら犯罪の行われた場所とは認められず、その他右の何れの場合にも該当せず、本件写真撮影は許されないと見るべきである。

然るに本件写真撮影行為は、検察官の主張によれば、鉄道公安職員基本規定第一六条による「鉄道公安職員は……不法行為の発生又は犯罪発生のおそれのある情報を知つた場合には証拠保全又は危害妨止のため応急の措置をとるとともに、すみやかに所属長に報告しその指示を受けなければならない」旨の規定より当然その証拠保全のための写真撮影が許されとするが、右基本視程の「不法行為の発生又は犯罪発生のおそれのある情報」とは頗る不明確であるが、いづれにせよ右規程上許される証拠保全は人権侵害を伴はない場合であつて、苟くも人権侵害のおそれのある証拠保全が、刑事訴訟法の規定をはなれて、右のごとき鉄道公安職員基本規程(昭和二四年一一月一八日総裁達第四六六号)をもつてできる筈のものでないことは論ずるまでもない。本件は既にプライバシー権利侵害如何が問題となつている場合であるから、右規程をもつて、本件写真撮影の正当性の理由付けとなすことができないことは明白である。

又その「不法行為」とか「犯罪行為」なるものが現実に発生したか否かの面よりこれを検討するに日野公安職員作成の写真撮影報告書中の№3本件最初の現場写真を見るに、その画面には裸の職員達が立つて話をしているらしい平穏無事の状況であつて、不法行為の発生したとする浴場入口さえ写つておらず、不法行為発生の状態は全く見られない。不法行為の発生又は犯罪の発生のおそれのある事態がどこにあるのか、何を証拠保全のため撮影したのか全く理解に苦しむものである。日野証言によれば、浴場入口のガラスの割れた現状と職員の乱入状況を撮影しようとしたとき肩をつかれたとするが、若しそうだとすれば当然カメラブレが生ずる筈であるし、又若しかか事態の発生した直後とすれば、浴場広場に集つた職員達は一斉に浴場の入口の方を注視している筈であるのに、前述のごとき何事もないような状況と画面の人物が浴場入口とは反対の方向を向いて立つている状況を如何に解すべきか。

要するに、シヤツターチヤンスを逃した日野公安職員は、命ぜられるままに、当時浴場入口附近に集まり、浴場に施錠したうえ、入浴を実力で制止しようとする当局側に抗議している職員を現認するために、写真撮影を開始したと見る外はない。又特に現場は、大多数のものが入浴のため集つた人々であつたため、パンツ一枚もしくはパンツすら着用せず、腰に手拭を巻きつけただけという裸体姿であつたことが認められる。裸体写真の撮影はとくにプライバシーの権利の侵害の危険が大なるため、刑事訴訟法第二一八条第二項には身体の拘束を受けている被疑者ですら、とくに令状を要するとして慎重を期している点を考慮するとき、本件写真撮影のプライバシーの権利侵害は疑問の余地なく、これに対する職員の抗議は正当と云わねばならない。従つて本件日野公安職員の写真撮影行為は違法たるをまぬかれない。

次に日野公安職員の写真撮影行為が違法とすれば、この写真撮影行為は公務執行妨害罪により保護すべき公務の執行と認められるか否かを考察しなければならない。

公務執行妨害罪は、公務員によつて実現せられる国家の機能即ち公務と云う国家的利益を、その保護法益とし、公務の円滑なる遂行を期するとする国家的利益と公務執行によりて自由、名誉財産等を侵害されまいとする個人的利益との対立関係にあつて、国家的利益に優位が認められた場合に、公務執行妨害罪が成立するとされる。我国のように個人の権利や自由の価値が国民意識として把握されていないところでは、国家権力の行使そのものが、無批判的に正義であるかの錯覚にとらわれ、国家的利益と個人の利益とが異質的な対立関係として論ぜられ、国家的利益の抽象的な優位が認められて来た。「苟も公務員の職務の執行と認められるものがあれば、その行為はすでに本条の保護に値する。」とか、公務自体に個有の価値を認め「公務員の職務の執行は実質的に見て法秩序一般から正当であることは必要ではない。」とする考え方が支配的であつた。然し民主々義国家において、個人の人権を犠牲にしてまで、違法な国家権力を保護する必要のないことは論ずるまでもない。公務執行行為の実質的違法を無視して、公共の福祉名のもとに、形式的適法性のみから、公務執行の概念を規定するのは、「公益優先」とかの思想に通ずるものであつて、人権保障の面からは頗る危険と云わねばならない。

然しながら公務執行々為に多少の瑕疵があつたからと云つて、直ちにその職務の執行は刑法上の保護に値しないとするものではなく、その基準は国家が公権力の強力な執行を要請する度合と国民の人権保護の必要性の程度に応じて、具体的に、事案の軽重を勘案して判定されなければならない、本件についてみるに、入浴時間の慣行を無視してまで一方的にその規制を必要とする緊急性は何一つ認められず、そこに強力なる公権力を要請する度合は乏しく、これに反して本件写真撮影行為は、不法行為の撮影と称して隠しカメラを持つて、いきなり人の裸体写真を撮影し、その釈明にも耳をかさない強引なる方法、しかも紛争状況は何一つ撮つておらず、裸の職員の平穏なる話し合いの状況写真である点を考察するとき、プライバシーの人権侵害の面より、国民の人権保護の必要性は頗る強度なものと云わねばならない。従つて本件写真撮影行為としての公務執行々為の瑕疵は、刑法上の保護に値しない執行と見るべく違法たるを免れない。又鉄道公安職員が適法な写真撮影行為だと信じたとするも、この点に関する法律解釈適用の誤りは、現場写真からも単に主観的な状況誤認として、保護すべき公務の執行と見るには余りにもその瑕疵が大であつて、到底適法な職務の執行と解することはできない。要するに本件公務執行々為は、その目的、手段方法、執行した公務の内容等よりして、右は公務執行妨害罪により保護すべき公務の執行とは認めることができず、被告人等に対する公務執行妨害罪は成立しない。

(被告人等の暴行)

検察官は、被告人小泉、同上野は、日野公安職員が、本件紛争を写真撮影しようとしたところ、同浴場附近から「私服がいるカメラを取つてしまえ」と叫びながら、右日野のところにかけより、ついで被告人佐久間も同人に襲いかかり、更に氏名不詳の者約一〇名が次々に公訴事実のごとき暴行を加えたと主張するが、前記認定のとおり、日野公安職員は、職員の一人である岸野浜治等の正当な抗議にかかわらず、写真撮影を続行したため、同人の「写真をとつているぞ」との叫びと共に、浴場前広場にいた被告人小泉、同上野、同佐久間、遠藤及び岸野等がすばやく、右日野の周囲に集り、同人の写真撮影を妨害すべく、同人の腕を揺つたり、カメラの紐を引つぱつたりしていたことが認められ、右暴行集団中に被告人小泉、同上野はいなかつたとする布野、松崎、清水、佐藤、斉藤、金子、吉野の各証言は、後記認定するごとく、暴行集団の状態、右両名の現行犯逮捕のときの状況等よりこれを措信しない。

そのときの紛争の状況は、本件公安職員出動の責任者であり、最も客観的な証言と認められる証人山岸勘六の供述によれば、恰も大勢の人々が集つて、一つのラグビーボールの奪い合いのような状態で、日野公安職員の二、三米の所にいても各人の行動はよく解らないことが認められる。浴場前の巾約七米、奥行約一五、六米の広場に、当時約六、七〇名の職員が密集していたことを考え合せると、前記山岸証人の供述は、まことにその実状を物語つていると云わねばならない。検察官は、最初に日野にとびついたのは、被告人小泉、同上野であると云い、弁護人は、最初にかけよつたのは職員である岸野と被告人佐久間であると主張するが、当時浴場正面入口に並び実力をもつて職員の入浴を阻止していた小沢、板東、田中の三助役ですら被告人等の逮捕に気が付かなかつたとする証言によりみても、本件紛争は僅か一、二分足らずの間のできごとであり、前記山岸及び岸野、中村、指田の各証言によれば、一度に日野のところに集つて来たのは、四、五人であつて、一人とか二人とか、誰れが初めであつたとか、見分けられるような状態ではなく、しかもその集団は、ぐるぐる廻つているような具合で、どの人間がどれか、なかなか特定するのは困難な状況であつたことが認められる。

以上の事実よりすれば、検察官主張の被告人小泉、同上野と弁護人主張の被告人佐久間と岸野等の四名は殆ど同時に、日野の周囲に集まつたと認めるのが相当である。

次に日野の周囲に集つた前記四名がその後如何なる行動をとつたかを検討するに、証人日野光一は「被告人小泉に左からカメラの紐を引かれ、胸をつかれ、足を蹴られ、被告人上野からは右からカメラを引かれ、胸を数回つかれた。小泉は機動隊が来るまで私よりはなれないで、かじりついていた。」、証人一の瀬善一郎は「二人の男が浴場の入口の方からとび出して来て、日野公安官を引きずり廻していた。」、証人片倉信一は「二人の男が日野めがけて、とび出し、写真機の紐を引つぱり、抱きついたりした。この二人が日野は相当な暴行を加えていたことを確認している。」証人大塚隆也は「一人の男が日重の左方向から鉄拳でついた。左斜め後から左肩をつく」、証人勝又勲は「作業服を着た男が日野の胸のあたりにとびついた。左手を二、三回たたいた。」等とそれぞれ供述している。

然しながら押収にかかる日野撮影の写真フイルムのネガが撮影のとき手ぶれ、露出ミスなどの異常を呈していることは、職員の抗議にかかわらず同人が写真撮影を強行していたことは疑なく、写真撮影の妨害中にもこれを敢行しつづけ、一七枚に亘つて撮影している事実、又暴行しているものも被写体として撮影しようとねらつた旨の日野証言よりすれば、日野は数人以上にとりかこまれ暴行を受けている間にも無差別的にシヤツターを切つていたことが窺はれる。前記証言のごとく「私よりはなれないで、かじりついていた。」「日野を引きずり廻していた」「抱きついたりした」とするならば、どうして日野は写真撮影を継続することができようか。又日野証言によれば、暴行が始まると写真機保護のため、かがみ込んだ中腰になつたとするが、この日野に対して、抱きついたり、かじりついたり何のためにするのか、又二人も三人もがごく一、二分の短時間に、かがみ込んだ日野にかじりついていることなどは物理的にも不可能に近い。若しそこまでの徹底した格闘ならば一人の日野に写真機の確保などできる筈はなく、当然写真機は奪取されたり破壌されたりしたであろうし、その間の写真撮影などど夢にも考えられない。

次に被告人等の現認について、日野は写真撮影を発見されて、身の危険を感じて逃げようとしているとき、而も誰れが誰れを逮捕したか記憶がないのに、初対面の被告人小泉、同上野の服装から行動まで、同人の証言は余りにも詳細をきわめている。どつと数人から取り囲まれラグビーボールの奪い合いのような状況下において、写真機の確保に懸命な日野にかかる被告人等のそのような状態を認識できる筈はない。又被告人小泉逮捕の責任者である証人一の瀬は日野に対する被告人小泉、同上野の暴行を始めより現認していると供述しているが、これは頗る疑わしい。一の瀬証言によれば、浴場表入口のガラスが割れてから、片倉補佐の指示で浴場裏の引上線のところまで行き公安機動隊の出動を合図をして、現場に戻つてから右被告人らの暴行が始まるのを見たとするが、日野の写真撮影と一の瀬の機動隊連絡を指示した片倉証言によれば、両者は殆ど同時に指示したことは明らかであり、又日野撮影にかかる本件暴行開始直前のフイルム№3の写真画面に一の瀬が写つているのを見ても、一の瀬は日野が写真撮影を開始してから、前記連絡に行つたこととなり、又撮影開始直後本件被告人等を含む紛争が始まつたことは日野、片倉、山岸各証言より明らかであつて、一の瀬は本件紛争の開始後前記連絡より帰つたとする前記片倉証言とも合せ考えると、一の瀬の始めから被告人等の日野に対する暴行を確認したとする証言は到底信ずることはできない。証人片倉も現場の瞬間的混乱状態の中において面識なき被告人等の確実なる記憶があろう筈がなく、同証言による十数人もの職員が折重なつて揉み合つている中で裸の男を終始掴えていたわけではないとする。又機動隊長横堀証人の責任ある証言によれば、制服機動隊を引率し、先頭で現場に到着したときは、日野の周囲には人垣などなく、大勢で日野に暴行を加えるような状況はなく、一人の男が、うづくまつていた日野の写真機を引つぱつていたので、この男を逮捕した。これが被告人佐久間であるとするのに対して、右横堀より後から現場にかけつけた大塚、勝又両証人が如何にして五、六名の集団の中に被告人等の暴行の現認が可能なのであろうか。更に被告人上野の逮捕のさい一の瀬と右大塚との間に交された「この男か」との問答も右大塚が現場に到着したとき、暴行集団は解散していたため確認する必要があつたための問答と見る外はない。「逮捕しろ」との掛け声や、十数名の制服公安機動隊の出動を知つた職員達が依然として、日野をとりまく暴行に参加していたとは考えられず、この点に関する前記横堀証言はその真相を物語るものと云わねばならない。

次に被告人等三名の行動につき判断するに、被告人小泉、同上野は前記認定のごとく、本件暴行集団に参加していたことは認めるに十分であるが、然しその紛争は一、二分足らずのごく短時間で、しかも多くの職員の密集している狭隘な場所で行はれたため逮捕におもむいた公安職員も被逮捕者らの行動のすべてを詳細に現認する暇はなかつたことが認められ、現に磯貝寿一証人のごときは、入浴のため持つていたシヤツを後退して来た公安職員に踏みつけられ、それを取らうとしてその公安職員の足に触れたら直ちに逮捕されと供述し、又浅野孝一については逮捕されたが起訴に至らなかつたとの事実もこれを裏書するものである。従つて右被告人両名が日野に対してなした直接暴行を現認したとする前記各証言は前述のとおり措信し難く、前記のごとき状況よりみて右両名は前記集団の中にあつて、日野の写真撮影の妨害行為に終始していたと見るのが相当であり、又被告人佐久間は日野のカメラの紐などを引つぱりその撮影妨害をした事実は前記横堀証言により明かで、佐久間被告本人もこれを認めて争わないところである。

(日野公安職員の傷害)

一般的に医師の証言と、その診断書の記載は、客観的にして、科学的な調査に基くものであり、高度の信頼性あるものとされている。然しそれは患者の供述が真実であり、科学的診断が可能な場合に限られる。医師は他覚的症状が存在せず、又科学的診断の結果が不明のような場合には、畢竟患者の供述に頼る外なく、必然的に患者の供述に添う診断とならざるを得ない。それは医師は一般的に患者は常に真実を述べているとの前提に立つているからであり、若しそこに患者が虚偽又は誇張した供述をした場合、例えば患者が痛くもないのに、或いは少しくらいの痛みであるのに痛い痛いと訴えた場合、レントゲン検査ですら、軟骨組織等微妙な点については限度ありと云うべきで、その患者の供述を基礎にした診断は伝聞に似た不正確さは免れず、更に医師の良心的善良さから、或いは患者の訴えに慎重を帰するの余り、科学的診断と患者の供述に食い違いがあるときは時として何々の疑いなる不明確の診断が下される可能性は十分ありうるものと思料する。

本件について見るに、日野証言が如何に虚偽と誇張に充ちているかを、そして更に高口医師が日野の供述に添う診断をなし、更に治療を続けたかを検討することとする。

先ず日野証言による左顔面の赤くなつた打撲傷と右手小指の第二関節附近から先が紫色になつた傷の存在は高口証言によると認められず、又傷害の程度にも両証言に重大な相異が認められる。日野証言は、第二肋骨附近骨折の疑いとするに対して、診断書の記載は前胸部左第三肋骨肋軟骨部に圧痛を認めるも、介達圧痛は認めず、レ線像に所見を認めずとあり、日野証言には左膝関節部が紫色になる打撲傷、左手甲は赤くなつた打撲傷とするに対して、診断書の記載は、左膝関節部左手背部に軽い圧痛を認めるも特に治療を要する程の所見を認めずとあり、左手甲については、日野証言は、第二第三指中骨々折とするのに、右診断書には、右示指の中手指関節部に腫張と運動制限を認め、レ線像にて第二中手骨遠位端部に皹裂骨折様の所見を認めるとある。而も高口証言によれば、入院を要するという胸部挫傷も何ら外見的にも、レントゲン写真にも異常を認めず、押して痛い程度のものであり、其の他の傷害も事件発生の翌日の診断である以上、日野証言のごとくならば、当然所々に外見的異常が発見さるべきであるのに、僅かに診断書に右示指の中指関節部に腫張を認めるとあるのみで、その外には何ら外見的異常は認められない。治療の内容もただ安静のみで、その他の手当は全然なされず、骨折の疑があるならば、その後直ちに精密検査をするなり、或いは骨の固定処置など、なすべきであるにかかわらず、そのような処置は何一つとられず、外傷には赤チンすら塗られた形跡はない。そしてレントゲン像の疑いも全くの疑いに終り、骨折なきことが、その後の経過で判明しているのに、法廷における日野証人は、第二肋骨附近骨折の疑い、第二第三指中骨々折と供述し、又治療なき安静治療と称して七日間も、中央鉄道病院に入院し、その後も安静治療のため三回も通院している事実は何を物語るか。何が故にかくも受傷行為の裏付けのために汲々としていたか。本件暴行々為が如何なる程度に行われたかの有力なる証拠の一つであるところの、日野が暴行を受けながら一七枚の写真撮影を続行した事実につき、同証人がこれを隠蔽せんとし、如何に取消に次ぐ取消のしどろもどろの供述をなしたか。或いは又針小棒大の証言と云い、何が故に真実を語らんとする勇気に乏しかつたか。当裁判所は不審の念を抱かざるを得ない。

要するに本件日野公安職員の受傷状況並びに傷害の部位程度に関する証言は、著しい誇張にみち到底全面的には措信し難く、診断書の記載も、高口証言も無批判的に承認することはできない。従つて被害者日野の傷害については、他に措信すべき証拠なく、僅かに、前記診断書第二項に記載ある外見的所見の右示指の関節部に腫張と運動制限を認める程度の傷害と認めるほかはなく、その程度の傷害こそ当裁判所の認定した暴行の結果に符号するものと云うべきである。

(被告人等の行為の正当性)

そもそもプライバシーの権利侵害としての写真撮影が行われ又は行われようとしているとき、その被害者には如何なる行動が許さるべきか。何者かにより写真が撮影されてしまつたら、それが、いつ、どのように使用されるか保障の限りではない。これに対して拱手傍観せよ、とするは盗犯の現場において、被害者に拱手傍観を強いるのにひとしく、そのさい何らかの自救手段の許さるべきは、本件のごとき写真撮影の場合も同様であり、ある限度においての自救行為は違法性を阻却するは云うまでもない。

犯罪捜査のため、前述のごとく相手方の承諾なくして、写真撮影の許される場合を除き、一般的に被撮影者は権利を侵害された被害者として、当然撮影者に対し、その釈明を要求する権利があり、撮影者も他人の権利の侵害者として、当然それに応ずる義務あるものと云わなければならない。本件においては、日野の違法なる写真撮影を発見し、その周囲に集つた人々は、その行為の釈明と中止が目的であり、日野に対して「写真をとるな」「無断で裸のところの撮影は許されない」「誰れの許可を得て撮影するのか」「どこの者だ」などと、繰り返し釈明を求め、或いはその中止を要求しているのにかかわらず、日野はそれに一切耳をかさず、強引に写真撮影を続行しようとしたので、被告人等を含む七、八名から一〇名前後の職員等は、その撮影行為を妨害しようとして、やむなく、日野の腕や、写真機の紐を引つぱつていたものである。然しその暴行の程度は、余り強度のものではなく、その間に日野にあつては、曲りなりにもシヤツターを切り、フイルムを巻く余裕があつた程である。そして又被告人達も日野のカメラを奪う目的もなく、その必要もなかつたと見ることができ、一人の周囲に多くの人々が集まり、押したり、引つぱつたり、腕を握つたりすればそこに体が当つたり、足がぶつかつたり、踏みつけられたりなどの暴行は当然考えられるが、日野に対する意識的暴行はこれを認めることはできない。日野に対する軽微な傷害も右認定に符合するものであつて、右示指関節部の腫張はカメラの紐が切れる程の引き合いの際生じたものと見ることもできる。

要するに本件において、被告人等のとつた行動はプライバシーの権利に対してなされた侵害を回復する手段を発見し、併せて将来予想される同種の侵害を防止するため已むを得ずなされたものであり、本件行為以外にその目的を果す必要な方法がなかつたことは、多言を要せずして明らかである。更に前記認定のとおり被告人等の本件行為は公訴事実記載のごとき強度な暴行々為とは認められず、その他被告人等が本件行為をなすまでの諸般の事情を考慮するとき、被告人等の本件行為は止むを得ずしてなされた相当な行為であると認めなければならない。従つて被告人等の本件撮影妨害行為にやや妥当を欠く点があつたとしても、違法な写真撮影により職員の権利が著しく害されつつある場合においては、侵害さるべき法益との均衡を失わない限度において更に又社会通念上許される相当な手段方法によりなされたものであるならば何らかの犯罪構成要件に該当したとしても、これを法秩序全体の見地から刑法第三五条の正当行為と見做し実質的には何ら違法性を持たないものと解するのが相当である。

よつて、被告人小泉、同上野、同佐久間の本件各所為は公務執行妨害の点においても、暴行傷害の点においても、いずれも罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条により、右被告人等三名に無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。(裁判官神崎敬直)

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